---物語---
ニューヨークの暑い夏。妻子を避暑地に送り出し、気楽なひとり暮らしにワクワクしている編集者のリチャード(トム・イーウェル)は、アパートの2階の窓から誤って植木鉢を落としてきたキュートなブロンド娘(マリリン・モンロー)と初めて口をきき、さっそく部屋へ招待しましたが、快くやってきた彼女の解放的な態度に年甲斐もなくうろたえ興奮して、不器用にキスしようとしたとたん、抱き合ったまま転倒してしまいます。
すっかり意気沮喪してその夜は彼女を帰しましたが、翌日ある心理学の論文を読んで、「どんな男でも結婚7年目になると浮気がしたくなるものだ」という言葉に勇気づけられ、再びブロンド娘を誘って街へ出かけました
「ここなら涼しいわよ」と地下鉄の排気口の上に立つ彼女のスカートを、列車が通過するときの突風が勢い良くまくり上げるのもいい眺めで、しかも彼女はリチャードの部屋に戻ると、冷房のあるこの部屋で寝たいと言いだしました。
絶好のチャンス!と思ってみたもののそれ以上の勇気はなく、彼女を自分のベットに寝かせると、自分は居間のソファで夜を明かすリチャード・・・翌朝ついにたまらず彼は休暇を取って妻子のもとへ急ぐのでした。
本名はNorma Jean Baker。私生児として生まれ、母親が精神病院への入退院を繰り返していた為、里親や孤児院を転々とする暗い子供時代を過ごしたマリリンは、16歳の時に工員ジム・ドハティーと結婚しますがわずか4年で離婚・・・。その頃から、男性雑誌のモデルなどをして生計を立て、46年にFOXと契約を結んで47年に“Dangerous Years”の端役で映画デビューを果たします。しばらくは売れない時期が続きますが、52年「ノックは無用」で初主演して注目をされるようになり、以後、「ナイアガラ」、「紳士は金髪が好き」などで人気を不動の物とします。私生活では、故ケネディ大統領などとのスキャンダルもあり、結婚は工員と、野球選手のジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラーとの3回で、その全てが離婚に終わっています。そしてディマジオとよりを戻しつつあった62年8月5日午前3時50分、ロサンジェルスの自宅で、睡眠薬の多量摂取により死亡しているのが発見されました。その後、自殺説などの噂が流れましたが原因はいまだ不明で、撮影中だった新作「女房は生きていた」は製作中止となりました。“セックス・シンボル”の代名詞とも言われ、世の男性陣を魅了し続けた彼女も内面的にはかなり複雑なものがあり、その経緯を題材にした「ノーマ・ジーンとマリリン」が後に製作されています。
1953年公開の彼女の代表作「ナイアガラ」あたりから、彼女の「モンロー・ウォーク」が話題になり始めました。しかし、お尻を揺らす彼女独特のあの歩き方にも、しっかりとした彼女の計算があったようで、彼女はその歩き方のために片方の靴のヒールを4分の1インチ短くし、わざとバランスを崩していたのです。彼女のセクシーさの影には、したたか計算があったのでした。
初めての西部劇「帰らざる河」を撮り終えたあと、12歳年上の
元ニューヨーク・ヤンキースのジョージ・ディマジオと2度目の
結婚をしたマリリンは、彼をパパと呼んで、父親に甘えるような
アツアツぶりを見せました。
けれど、昔かたぎのディマジオは、結婚したら女は家にいて夫に
仕えるものという考えが捨てられず、マリリンに女優を引退する
よう頼みますが、人気が上り調子のマリリンにそんな気は毛頭
ありませんでした。
そんな折、「七年目の浮気」のニューヨークロケが行われ、
2000人もの見物人の前で地下鉄の排気口からの突風にスカートを
まくり上げられるシーンを、撮り直しもいとわずに何度も演じて
のけたマリリンは、ディマジオの怒りをふるえ上がらせ、
その夜の2人の激突は、ホテルの部屋から聞こえた彼の怒声と
彼女の悲鳴になって現れたそうで、それから2週間後、マリリンの
側から離婚申請が裁判所に提出され、わずか8ヶ月で夫婦の仲は
終わりました。